【金閣寺周辺】の定番&穴場おすすめスポット紹介、半日観光モデルコース(仁和寺・龍安寺)


 京都の大人気観光地、金閣寺。非常に魅力あふれるお寺ですが、金閣寺は京都の北側に位置するため南西側の祇園、清水寺、伏見稲荷といった他の超人気観光地からは多少離れているのが難点。また金閣寺の周辺は世界遺産が立ち並ぶ界隈のため、いっそのこと金閣寺周辺を半日から一日かけて周辺をまとめて観光されることがおすすめです。そこで【金閣寺を中心とした定番から穴場までのおすすめ観光スポット】をまとめてご紹介いたします。また、ご紹介した金閣寺周辺を巡る【半日観光モデルコース】や【アクセス】もご紹介。ぜひ、京都観光にお役立出ください。

目次

■おすすめ定番&穴場観光スポット紹介
金閣寺
 京都観光の代名詞ともいえる金色に輝く金閣が有名な寺院

龍安寺
 謎につつまれた石庭と自然豊かな庭園が魅力の寺院

仁和寺
 国宝や五重塔をはじめとする重要文化財の多い広大な寺院

等持院
 室町幕府初代将軍 足利尊氏が建てた、お抹茶も楽しめる穴場な寺院

堂本印象美術館
 他では味わえないアート体験が可能な、京都生まれの堂本印象の美術館

北野天満宮

 学問の神様 菅原道真を祀る、全国の天満宮・天神社の総本社

金閣寺周辺スポットを巡る半日観光モデルコース

■おすすめ定番&穴場観光スポット紹介

 世界遺産である金閣寺、龍安寺、仁和寺の三つの寺を結ぶ約2.5キロの観光道路は付近の衣笠山の麓にある事にちなんで「きぬかけの路」として親しまれています。このきぬかけの路が金閣寺界隈の観光の中心となります。また、仁和寺の近くには嵐山と北野白梅町を結ぶ京福電車北野線 (通称 嵐電)があり、この路線を使い様々なスポットにもアクセス可能です。そんな「きぬかけの路」、「嵐電」を使い、付近のスポットをご紹介いたします。

【金閣寺】

 京都と言えば金閣寺。そう言っても過言ではないほど京都の中でも清水寺・嵐山・伏見稲荷と並び世界的にも知名度の高い観光地です。三島由紀夫の小説「金閣寺」が有名ですが、実は「金閣寺」というのは通称でお寺の正式名称は鹿苑寺と言い、有名な金色の塔を金閣と言います。(ここではなじみのある金閣寺で記載してご紹介いたします。)

<歴史>
 金閣寺は室町幕府三代将軍 足利義満によって建設され、金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世にあらわしたと言われています。有名な一休禅師の父である後小松天皇招いた場所で、中国との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した舞台で、この時代の文化を特に北山文化といいます。義光の遺言により死後寺院となり、その後、国の特別史跡・特別名勝として指定、1994年には寺全体が世界文化遺産として登録された、北山文化の黎明を今に伝える貴重な場所です。

雄大な自然を背景に金色に輝く三階建ての金閣
 金閣は三階建ての木造建築で、中に入る事はできませんが一階には金閣寺を経てた足利義満の像が、二階は鎌倉時代の武家作りの建築様式で潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれるフロアで岩屋観音と四天王像が安置されています。三階では唐様の禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれるフロア全体が金箔に覆われたフロアで、仏舎利が納められています。
 
 金閣寺の入館方法は特殊で、入館受付の際は入館チケットの代わりにお札が配られます。入館入り口を抜けるとすぐに有名できらびやかな金閣が現れます。鏡湖池の中に佇み雄大な北山に囲まれた金閣は息をのむような美しさ。天気の良い日であれば鏡湖池に金閣の姿がリフレクションされ、より一層美しい風景を見る事ができます。四季折々で草花が変化するのも魅力で春は桜、夏は菖蒲、秋は紅葉が美しく、冬は年に1回ほど(12月下旬〜1月中旬頃の大雪の日)のチャンスですが雪化粧をした金閣寺を望むことが可能です。登場には金色に輝く鳳凰が飾られその雰囲気をより一層神々しいものに感じられます。

北山の自然を抜けて散策する境内
 通りを挟んで金閣の反対には方丈があり、さらにその近くには「陸舟の松」と呼ばれる足利義満の遺愛の松とされる立派な松の木が植えられています。この松は“京の三松”と評される名松となります。その後は順路に沿ってアップダウンの激しい庭園を散策できます。高台からは京都の風景を楽しめる事も魅力で、金閣寺全体を通して室町時代の雅で風流な雰囲気を楽しめる空間となっています。

【龍安寺】

 金閣時から徒歩約19分で到着できる龍安寺。金閣寺・仁和寺とともに、「きぬかけの路」界隈に集まる三つの世界遺産の一つです。とりわけ整然とした石庭が有名でCMや広告などでもよく取り上げられますが、実は非常に広大な庭園を持ち美しい自然の中を散策できるという楽しみ方もできるスポットです。

<歴史>
正式名称は大雲山龍安寺。名門徳大寺家の別荘であったのを1450年に細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたお寺。応仁の乱の頃に一度焼失し、1499年に細川勝元の子である政元が再興したものの、1797年に火災で方丈・仏殿・開山堂などが再び焼失。現在の方丈は焼失後に西源院の方丈を移築したものです。方丈の前庭は枯山水の石庭として京都の中でも取り分け有名で、臨済宗妙心寺派に属し、大雲山と号し禅苑の名刹とされています。

<広大な鏡容池と美しい紅葉などの自然が広がる庭園を散策>
 入り口を抜けると紅葉などの木々が生い茂る参道が現れ、道順に沿って木漏れ日の中を歩いて方丈へ向かいます。道中の右側には広大な鏡容池があり、そのあまりの大きさに驚かされると同時にスイレンや木々とのコントラストで光景をより際立たせます。この池はかつてはおしどりが群れ遊んだことからおしどり池と呼ばれることも。水面に反射する木々や建物が美しく非常に広大な池です。

 また池の中間あたりまで伸びる道があり、その先には橋や祠に立ち寄ることもできるなど、様々な箇所で自然の豊かさを楽しむ事ができます。池を過ぎると趣のある大きな石段があり、それを上がると正面に庫裡が見えます。禅宗寺院建築の簡素な装飾ですが巨大で重厚。木と白壁で構成された色合いが周りの自然とも調和しており、静寂を感じさせます。

<見る者によって解釈の異なる謎の多い石庭>
 石庭は方丈の中にあり、東西25メートル・南北10メートルの空間に白砂が敷き詰めれ、15個の石が配置された簡素で静寂さを感じさせます。また、石庭を囲む塀は菜種油を混ぜた土で造られ時代の経過によって油が変化を起こし独特の風合いを醸し出しています。

 極端なまでに象徴化された石庭の意味は謎に包まれており、明確な作庭年や作者もあやふや。通説では室町時代末期に作庭されたと伝えられています。そのため、石庭の意味の解釈も見る人の自由な解釈に委ねられています。極端なほど簡素であるものの整然として不思議と魅了されてしまう石庭でまさに禅の世界に踏み入れたような感覚です。来場者の方々も写真を撮る方、坐禅を組む方、ただぼーっと眺める方など思い思いの形で石庭を楽しまれていますので、ぜひ自分なりの解釈でお楽しみください。
 
 また、方丈では石庭だけでなく襖絵も見どころです。龍や梅が描かれており、静かな石庭とは異なる迫力や美を楽しむ事ができます。京都の観光の休憩にもお勧めです。

【仁和寺】

 龍安寺からきぬかけの路を10分程進むと仁和寺に。仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山です。寺号も元号の仁和からとり、仁和寺となりました。金閣寺、龍安寺も巨大な敷地を持つ寺院ですが、仁和寺は京都でも指折りの広大さの敷地を持つ寺院で、境内には江戸時代に建設された五重塔や二王門など歴史的建造物があり、平成6年には世界遺産に登録されました。中でも御室桜が有名で京都でも人気の桜の名所として知られています。

<歴史>
 仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。途中、光孝天皇が崩御されたため第59代宇多天皇が先遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。しかし応仁元年(1467年)に応仁の乱が勃発すると本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移されるものの、仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失しました。

 応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、徳川幕府3代将軍家光の頃に御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了したことで、ようやく創建時の姿に戻りました。明治20年(1887年)には御殿の焼失がありましたが、大正時代になると再建いたしました。

昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、平成6年(1994年)に古都京都の文化財としてユネスコの「世界遺産」に登録されました。

<無料でも楽しめる、広大な世界遺産の寺院>
 仁和寺は世界遺産でありながら境内のほとんどの箇所を無料で拝観できるというのが特徴でもあります。京都では珍しい道路に面した京都3大門のひとつ「二王門」が特徴で巨大な仁王像が来場者を迎えます。入場すると中門、金門まで続く長大な通路があらわれ、その広大さに圧倒されます。両側は御室桜で囲まれており、春には満開の桜が楽しめる京都でも有数の桜の名所として知られています。

 広大な境内には国宝の「金堂」をはじめ、数多くの重要な文化財を見る事ができます。重要文化財の「五重塔」「御影堂」「観音堂」や、御殿内の「遼廓亭」「飛濤亭」などがあり、皇族や貴族とのゆかりが深かったため「仁和寺御殿」といわれる御所風建築物が特長です。

<重要文化財 五重塔>
 寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。京都市に四つある五重塔のうちの一つで、東寺の五重塔と同様に上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれています。

【等持院】

 立命館大学の裏手にある京福電車「等持院駅」近くの静かな住宅街にある臨済宗の寺院。嵐山にある天龍寺派の寺院で太平記で有名な足利尊氏が創建しました。きぬかけの道の「金閣寺・龍安寺・仁和寺」の3つは良く取り上げられる機会が多いですが、それらと比べてメディア露出の少ないひっそりとした寺院です。しかしながら美しい庭園を見るだけなく回遊できる事やツツジや紅葉など自然が豊かで縁側でおちついて鑑賞ができる、「静かな京都」を味わいたい方にお勧めの穴場スポットです

<歴史>
 暦応4年(1341年)に足利尊氏が天龍寺開山夢窓国師を開山にお迎えし、衣笠山の南麓に創建したのが等寺院となります。
その後、尊氏・義詮の将軍の時代に幕府の地にあった等持寺をこの地に移し足利歴代の菩提所となり、足利尊氏の墓も等持院で見る事ができます。等持院にはその縁から室町幕府を統治した足利家15代・約230年に及ぶ歴史を物語る貴重な文化財の数々が今なお保存されています。

ツツジや紅葉のきれいな回遊式庭園を散策、書院ではお抹茶を味わえる穴場スポット
 境内には2つの庭園がございます。一つは方丈側で楽しめる整然とした枯山水庭園で禅の世界に浸る事ができ、もう方法には芙蓉池を中心に花木や草木が配された自然が豊かな庭園を楽しむことができます。後者の庭園では春先は有楽椿、初夏は皐月やツツジ、7月頃からはクチナシ、初秋は芙蓉、晩秋には紅葉を楽しめるのでどの季節に訪れてもお勧めです。

 また、こちらの庭園は書院から降りて庭を回遊しながら散策することが可能。石組みも変化に富んでいて間近くで花を見る事ができるのが素敵です。庭園の石段を上がると一番上には茶室・清漣亭あり、内部を見る事や茶室からの風景と同じ光景を見ることも。また、書院では庭園を眺めながらお抹茶と茶菓子も楽しむことが可能で、ゆったりと過ごす事ができます。金閣寺や仁和寺などきぬかけの道界隈は歩くことの多い観光地ですので、休憩がてらにお抹茶で一息つくという楽しみ方としてもお勧めのスポットです。

<足利家ゆかりのお寺。足利尊氏の墓や室町幕府の歴代将軍達の木像が勢ぞろいなど、歴史ファン必見のスポット>
 今やハリウッド俳優となり、将軍でエミー賞を総ナメにした真田広之さんが主演を務めたNHK大河ドラマ「太平記」、漫画「逃げ上手の若君」の敵役などで再注目される足利尊氏。その尊氏が立てたお寺という事もあり、歴史ファンにはお勧めのスポットです。中でも室町幕府の初代から15代(5代義量と14代義栄の像を除く)までの木像が一堂に並ぶ霊光殿の内部は壮観です。また、木造でありながら非常に作りこまれている姿は歴史好きでなくても一見の価値があります。
 
 また、徳川家康の木像も同じ場所に設置されています。当初は石清水八幡宮豊蔵坊にありましたが廃仏毀釈のあおりを受け等持院に移されたとの事。写真撮影が許可されていないため、写真で紹介する事が叶いませんので、ぜひご自身の目でご覧いただければと思います。

 金閣寺を建てた3代将軍義満、仁和寺再建に関わった徳川家、そういった「きぬかけの道」の世界遺産を鑑賞した後にそれに関わった偉人たちに思いを馳せる・・・そういった歴史ロマンを感じさせてくれるお寺です。その他、境内の方丈の北、中央には足利尊氏の墓も設置されています。ぜひ、お参りください。

【堂本印象美術館】

 金閣寺と龍安寺の間、立命館大学の前にある京都生まれの芸術家「堂本印象」の美術館。日本画家からスタートし、西洋画、抽象画、調度品のデザインなど様々な芸術を取り入れた芸術の旅人 堂本印象。ここは彼が晩年に自ら外装から内装に至るまでデザインした3階建ての美術館となります。単に堂本印象の芸術作品を納めただけでなく、ドアノブや庭園のベンチ、扉など細部に至るまで堂本印象の美が込められており、一人の芸術家が作ったとは思えないほど和・洋・抽象の様々な芸術品に彩られた、堂本印象ならではの美の世界を体験できる他にはない空間です。
 
 神社仏閣の多い京都の中でも異色の場所で、料金もお手頃。美術館の外観、庭園、美術館内ロビーは自由に撮影可能な事や手荷物をロッカーに預けられる(100円玉返金方式)のも嬉しいポイント。京都旅のアクセントや観光の休憩にお勧めのスポットです。

<堂本印象について>
 1891年(明治24年)京都生れ。本名三之助。1910年(明治43年)京都市立美術工芸学校を卒業後、しばらく西陣織の図案描きに従事し、1918年(大正7年)、日本画家を志して京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)に入学。その後ハ京都市立絵画専門学校の教授としてつとめ、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成に従事。
戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与え、さらに1955年(昭和30年)以降は抽象表現の世界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。1961年(昭和36年)には文化勲章を受章。数多くの作品は京都の建築物や神社仏閣にも納められ、東福寺、東寺、智積院など数々の場所で拝見できる。

【北野天満宮

 北野天満宮は、菅原道真を御祭神として祀る神社。全国約1万2000社の天満宮・天神社と名の付く場所の総本社でもあります。金閣寺からは多少離れていますが国宝の本殿や紅葉など見どころが多く無料で訪れることができるのでぜひ、訪れてほしいスポットです。

<歴史>
 天神信仰発祥の社として今から千年あまり前の村上天皇天暦元年(947)、御神託(神様のお告げ)により平安京の天門(北西)にあたる北野の地に菅公をおまつりし創建されました。やがて天正年間には、関白豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じたことなどにより、北野が日本文化発信の中心地として強く意識され、文化芸能の神社としても仰がられるようになりました

 現在の本殿(国宝)は、豊臣秀頼公が慶長12年(1607)に造営されたもので八棟造と称し、神社建築の主流である権現造の原型となった桃山建築の代表的遺構です。中門は「三光門」と呼ばれ、後西天皇御宸筆(直筆)の勅額「天満宮」を掲げています。 また宝物としては「紙本著色北野天神縁起絵巻・承久本」(国宝)をはじめ、天神美術の殿堂として貴重な御神宝類、文化財を多数所蔵しています。


<勉学の神 菅原道真を祀る入試合格・学業成就の祈願の名所>
 菅原道真は、幼少の頃より学業に励み、和歌や漢詩などのにも優れた才能の持ち主であったことから、北野天満宮も入試合格・学業成就・文化芸能・災難厄除祈願のお社として幅広く信仰されており、特に修学旅行生・受験生に人気です。
また、毎月25日は菅原道真の誕生日が6月25日、逝去が2月25日を由縁に縁日が開かれ「天神さんの日」として長く続いています。

<桃山時代の美しい装飾が施された本殿、梅、紅葉など見どころの多いスポット>
 道路に面して建つひときわ目立つ石の鳥居「一の鳥居」、通路を進み石段を上がった先にある「楼門」、本殿前の中門で日・月・星の彫刻があるとされる事に由来した名前の付けられた重要文化財「三光門」、菅原道真を祀り桃山時代の美しい装飾の施された国宝でもある「本殿」など見どころの多い神社です。本殿では飛梅が植えられており、これは平安時代、菅公が自邸の紅梅殿で丹精込めて育てていたころから紅梅を絶やさぬよう、当宮創建以来代々御神前で守り受け継いできたとの事。6月から7月には境内で育てた梅の実を採取、土用干しがなされるなど梅の名所としても知られます。

また、境内西側には、天正19年(1591)に豊臣秀吉公が洛中洛外の境界に築いた土塁「御土居(おどい)」の一部が残り国の史跡に指定されています。御土居一帯は紅葉の名所として知られ、樹齢350年から400年の古木をはじめとする約350本のもみじが植えられており、谷間を流れる紙屋川の景色とともに風情ある光景を楽しむことができます。紅葉の見ごろの頃にはライトアップも行われます。

■金閣寺周辺スポットを巡る半日観光モデルコース

<順路>
①金閣寺
②堂本印象美術館
③龍安寺
④仁和寺
⑤等持院
⑥北野天満宮 


<アクセス>
①金閣寺から②堂本印象美術館まで徒歩約10分
  ↓
②堂本印象美術館から徒歩約10分 または 
 目の前のバス停「立命館大学前」から市バス59番で③の龍安寺へ
  ↓
③龍安寺から徒歩約10分 または 市バス59番で④仁和寺へ
  ↓
●④仁和寺の仁王門から真っ直ぐ進み、京福電車(嵐電)の「御室仁和寺駅」
 「等持院駅」にて下車し、⑤等持院へ
  ↓
●再び「等持院駅」から「北野白梅町駅」へ。
 徒歩約5分 または 市バスで⑥北野天満宮

京福電車(嵐電)で「嵐山」へのアクセス、立命館大前の市バスから「祇園」・「清水寺」へも可能です。ぜひセットでお楽しみください。